2014年3月12日

海外就活

2012年12月、36歳にして就職活動を始めた。目標は、海外の大学の研究・教育職(いわゆる、大学の先生。東大の職と同じような職)に常勤職を得ることだった。2013年9月にその目標は達成された。この就活の経験を書いてみます。

研究業界の求職情報は、実験助手や事務員も含めて、各大学のウェブサイトや、色々な大学の公募情報をまとめた求人情報サイトにある。これらを、しつこくチェックした。日本には、JREC-IN というこの道で有名なサイトがあるらしい。一方、海外では、まとめサイトにちゃんと公募情報が載るとは限らないし、国にもよる。アメリカは、いくつかの情報サイトがやや乱立していて、分かりにくかった。

自分は、就職したいかつ可能性があると思える世界中の大学や研究所について、個々の求人サイトを2週間に1回位、10ヶ月間に渡って、チェックした。レベルが高いけどはずした大学は、自分の実力では就職できえない大学(ハーバードなど)、あまりに田舎すぎる大学(アメリカ中部など。自分はよくても家族がいるので)などである。その数は、アメリカで50, イギリスで20, カナダとオーストラリアとその他 10 ずつといった所である。マメにやれば何とかなる数だ。なお、家族のことも考えて、基本的には英語圏に絞った。また、探す年限、自分がこの就職市場で商品価値を持つ年限は3〜4年間だと思ってたので、2年経ってダメだったら基準を下げ、3〜4年やってダメだったら諦める予定だった。

出したい公募が見つかると、応募書類を書いて期限内にネット経由で提出する。応募書類作成のノウハウは、様々な英語のウェブサイト(日本語のものは皆無に等しい)で紹介されている。提出を求められる主な書類は、業績リストを含む履歴書、今後の研究計画、教育の実績や計画である。

ただ、ウェブで情報をよくよく研究して、見よう見まねで書いてみても、最初はコツが分からない。日本でないので、採用側が何を期待しているのかがイマイチわからない。また、海外の大学に就こうという日本人研究者はほとんどいない(海外で働いているが日本に帰ってきたい日本人研究者は多い)ので、情報が少ない。また、研究者に限られないかもしれないが、転職活動をしていることをあまり表に出さない方がよい、という日本文化はあるようで、周りの人に表立っては相談しにくい。

一方、採用側は、提出文書をよく見ている。今までの研究業績だけで採用に至る、という単純な話ではないようだった。

私は、以下のようにして応募書類を改善した。

  • とにかく、書いて応募してしまう。後々、調べたり考えたりしていると、あの書き方は良くなかった、と気づく。それを次の応募で生かす。
  • 外国の研究者に尋ねる。どうやって自分を売るか、どういう分野の公募を狙うか、採用側は何を見ているか(多くは、研究費の獲得能力に関心があるようだ)。こういったことを、新しい友人から古い友人まで、色々な国籍の研究者に尋ねまくった。5年以上連絡してなかった知人も、すぐに skype までして相談に乗ってくれた。ありがたい。
  • 運良く面接に呼ばれると、失敗した場合でも、応募書類作成について気づきがある。それを次回に生かす。

成功する応募書類とは何なのか? 採用側に尋ねない限り、答はやっぱりわからない。ただ、私が以下のことに注意した。

  • 推薦書を3〜4人に書いてもらうことになる。分野によるかもしれないが、日本人でない人に全ての推薦書を書いてもらった。日本の同僚に秘密裏に就活をしていたから、とかではない。採用側は、国際的な文脈で候補者が仕事をできるかどうかを見ていると思われる。なので、大物中の大物でない限りは、採用側が知らないであろう日本人の推薦者を挙げると、3つしかないスロットを1つ使ってしまう。それよりは、国際力アピールに推薦書を資するべきだ。私の場合は、アメリカ、カナダ、韓国の共同研究者に1つずつお願いした。なお、頼んだときに「推薦書の下書きをして下さい」と言われてしまったら、その人は自分を本気に推薦してくれるわけではないと思う。
  • その大学用に、応募書類をカスタマイズする。数十、数百の応募を出すことになるのが普通なので、基本的には同じ書類を色々な大学の応募で使い回すことになる。しかし、大学ごとに、この分野が強いとか、この人がいる学科だからこういう共同研究が期待されるとかいった個別事情がある。大学の個別事情に丁寧に合わせる作業をしてから書類を提出するのは、多分意味がある。採用側の学科等のウェブサイトも研究すべきである。毎回この作業をやると、ひな形は完全にできている所からスタートしても、提出し終えるまでに 3〜5 時間かかる。それでもやる!

応募を終えると、1〜数ヶ月で、次のステージに進む場合は結果が来る。落ちた場合に通知がくるかどうかは、大学によってまちまちである。

次のステージは大学によって異なる。longlist と shortlist という概念がある。longlist とは、書類の一次選考に残ることである。例えば、200 通あった応募が、この段階で 20 通まで絞られる。shortlist とは、面接に呼ばれることである。典型的には 5, 6 人の候補者が面接に呼ばれる。longlist なしでいきなり shortlist する大学もあるし、longlist した後に、skype で面接して shortlist する大学もある。longlist した後に、skype 面接ではなくて書類をより細かく審査することで shortlist する大学も多い。自分の場合、40程度の応募を出して、6個 longlist され、3個 shortlist された。

運良く shortlist されると、いざ面接に赴く。書類選考までは日本と海外で大差はないかもしれない。しかし、面接は、海外と日本で大きく異なる。

第一に、旅費が出る。日本だと、予算が潤沢な研究所ならいざしらず、大学の場合は旅費が出ないのが普通である。イギリスに3回面接に呼ばれ、3回とも日本からでも旅費が支給される。違う大陸から来させる旅費を払ってまででも、いい人を採りたいのである。ここには、人選に対するこだわりをもっとも感じた。なお、食費も出ることが多い。私の立場からすると、特に子どもがいて家計が厳しいと、自費で行くことは精神衛生上かなり悪い。なので、これには助けられた。

第二に、会食を伴う。集合が立食ランチだったりする。自分が採用された面接では、夜のレストランが集合だった。採用側は、候補者の社交能力を見ている。といっても、採用側が各候補者を「チェックしている」とは感じなかった。あくまで、受かっても落ちても、折角の機会だから交流する、という風に感じた。こちらから色々質問することもできる。例外なくいい人、面白い人たちなので、楽しくなってしまう。次の日にも本番があるので、ついつい飲み過ぎないように注意が必要である。

第三に、候補者同士が顔をあわせる。会食する時点で会ってしまう。面接では、30分程度の研究発表をさせられるのが普通だが、他の候補者の研究発表を聞いてよい、という場合も多い(ただし、他の候補者に質問することはご法度)。日本では、極力、異なる候補者が顔を合わせないように計らわれる。

第四に、母国人の候補者が少ない。イギリスでしか面接に残れなかったのでイギリスのことしかわからないが、5, 6 人面接に呼ばれる候補者の中にイギリス人がいることは稀である。候補者の強さで選ぶと、結果としてそうなってしまうとのことである。彼らは、イギリス人を採用したいとは微塵も思っていない。ここにも、人材に対する貪欲さを感じる。イギリスは、英語圏であることもあり、世界中から候補者が集まる。

こうして、1泊2日に及ぶ面接が行われる。とはいえ、自分の出番は、会食を除けば高々1時間半である。アメリカではもっと長時間に渡って、相手をとっかえひっかえして様々な相手と様々な種類の会話をするらしい。いくつかのブログによると、アメリカ型に慣れていると、イギリス型は「こんなに短い時間では候補者を理解できるわけがない!」と見えるらしい。

候補者が6人いれば、合格率はとりあえず 1/6 である。だから、普通は落ちる。私も2回面接で落ちた。しかし、不思議と悔しさや嫉妬がこみ上げてこない。受かった人に「おめでとう」と心から言えるのである。この心理は不思議である。力を出し尽くしたスポーツの試合のようである。まさに、スポーツマンシップ!

採用側がフェアに選考を行っている、と感じられるからかもしれない。採用側が事前に心で決めた候補者が1人いて、その人を採用するために形だけの面接をしているのだったら、決してそういう風には感じないだろう。実際には、そのような面接もよくあると、海外の友人は言っているが。

落ちた時の残念度合いは大きい。特に、日本から行き、面接して、帰るだけでも丸々4日と体力、気力を失う。残念なのである。ただ、悔しい、というのと異なる。淡々と次を探すのである。一つの公募には100人や200人の候補者が群がるので、ベスト6に入れただけでも、自分はその位の競争力は持っている、と思えるからかもしれない。ただし、そこで満足してしまったら負けである。

面接を終えると、課題が浮かび上がってくる。それをくまなく書き留める。面接の時に何を聞かれたか、どう答えたか。書き留めないと忘れてしまう。後は、練習、練習、練習。10回でも100回でも声に出して発表練習し、スライドは完璧に。想定される質問(研究内容に関する質問だけではない。教育の心構え、研究費を獲得する作戦、なぜ応募するのか、など色々聞かれる)について何度もシミュレーションする。

その結果、ブリストル大学から採用を頂き、大満足である。
海外で定職を得る日本人研究者がもっと増えてもいいな、とも思う。