2013年8月7日

いかにも東大生

「いかとう」という言葉があることを最近知った。イカ党=飲みの席でイカの刺し身やフライを溺愛する人々(?)のことではない。「いかにも東大生」の略である。悪い意味で使われることになっていて、特に服装や見た目を、時には人間性のマイナス面を指す。

20年前(私が大学生になったとき!)にはこの単語はなかったと思う。とはいえ、近年になって東大生の「イカ東」的振る舞いが目立ってきたというわけではない。単語がなかっただけである。昔はセクハラという単語がなかったがそういう振る舞いは存在したのと同じだ。

大学外の知人・友人に「東大生ってどんな感じ?」とよく聞かれる。今も昔も答の一投目は同じで、「7割位の人たちは普通の感じですよ」と返す。では、残りの3割は普通じゃないかと聞かれれば、確かに普通じゃなくて、イカ東な身なりをしている。3割という数字に根拠はなく、私の主観的なイメージである。ただ、身なりについては、イカ東の割合は年々減っていると感じる。おしゃれな東大生もたくさんいる。

では中身はどうだろう。私の観察にもとづいて、ここ5-10年の多くの東大生に共通するマイナス要因を挙げてみる。人の欠点を挙げることは、人の長所を挙げることよりも簡単だ。

  • リスク嫌い。リスクという言葉に敏感に反応して逃げる。とりあえずやってみてダメだったらそこで考えよう、という動きができない。就職活動もおのずとそうなり、新興企業やベンチャーに興味をおぼえる人は少ない。ただし、ある年の私の指導学生は DeNA に2人も就職した。人にはよる。
  • 言われた作業はできるけど、工夫や自分での判断ができない。「答」のある受験教育に長年さらされてきた結果なのだろう。研究のみならず人生は基本的に答のない営みである、という価値観は共有しにくい。
  • 自分に自信がない。大学学部卒業の時点で比べると、東大生のいわゆる学力は、創造力に関係する部分は仮に弱いとしても、他国の一流大学の学力よりも高い、としばしば言われる。それには自信を持っていいはずだ。でも、自分ができることよりも自分ができないことを気にしてしまい、自信なさげな人が多い。
  • コミュニケーションにおいて、「相手は自分にこうしてほしいのだろう」という読み取りができない。「相手はこうしてほしそうだけど、俺は嫌だからやらない」なら、それは行動指針の1つである。しかし、それ以前に相手の意図や好みが読めず、自分の固定観念が優先する。相手、特に目上の相手、の好みに媚びた動きをしてばかりいるのは、悲しいかもしれない。しかし、相手の利益を汲み取って動き、結果的に win-win 関係になるのが賢いコミュニケーションというものだ。試験に通るための学習は得意なのに、なぜこういう技術は学習できないのか、としばしば思う。
  • 海外に興味がない。不況の影響もあるのかもしれない。海外に行ったことのない学生が、驚くほど多い。

さて、これらの指摘の背後には「東大生はいわゆる頭がよいはずなのに」という前提がある。しかし、これらのイカ東的性質の多くは東大生に限られず、ゆとり世代より年長の人たちがゆとり世代の人たちに対して感じていることであると気づく。同世代の社会人と話していると、東大とは別の文脈で、往々にして上のような議論になるのである。つまり、身なり以外のイカ東の多くは、いかにもゆとり世代、略してイカユト(こんな単語は普及しないだろうが)的性質なのかもしれない。

イカ東は平均値や多数派についての形容である。イカ東的内面・行動とは無縁、かつ基礎学力も高い、というたくましい東大生もいる。がんばれ東大生!